仲パレの成立ち

「なかパレ」はいかにして生まれたか


「行動する保守」への怒りの “カウンター”

私たちの「なかパレ」は、「行動する保守」を自称する差別主義者らに対する抗議(“カウンター”)から生まれました。

差別主義者は、隣国に 対する敵意や、この社会に住む在日コリアンをはじめとする民族的マイノリティへの侮蔑をあらわにし、毎週末のように梅田や難波などの繁華街 で在日コリアンに対する差別を正当化し、煽動するようなヘイトスピーチを含む活動を白昼堂々と行ってきました。その発言の一部を引用します。

「朝鮮人を見たら石を投げ、女はレイプしてもいい」

 (2013324日に御堂筋で行われた「日韓国交断絶国民大行進」での口上文の一部)

「チョンコをホロコーストして、安全な日本を取り戻せ」

 (主要参加者が自身のmixiで行った呼びかけ)

「いつまでも調子に乗っとたら、鶴橋大虐殺を行いますよ」

 (2013224日、鶴橋商店街前での街頭スピーチで、参加者の女子中学生が言った言葉)

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唖然とするような発言ですが、現時点で日本にはこうした差別扇動発言(ヘイトスピーチ)を規制する法的枠組みはありません。差別主義者らの攻撃 対象は民族的少数者にとどまらず、被差別部落出身者、ゲイやレズビアンなどの性的少数者、老人、障碍者などにまで及んでいます。差別主義者らは 「表現の自由」を盾に、言いたい放題、やりたい放題を重ねているのが現状です。政府や自治体に効果的な抑止が期待できない中、市民有志がそれぞれの 判断で路上でのカウンター活動に立ち上がりました。

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カウンターからパレードへ

関西での抗議がはじまったのは、昨年の2月の鶴橋からでした。それ以降、3月、4月と毎週のように企画されていた「行動する保守」による 活動に対して、路上でのカウンターに参加するようになり、その数は徐々に増えていきました。

カウンターに立ち上がった市民は多様な集団です。 そのアイデンティティも動機も多様ですが、「私たちの社会を卑劣な手段で破壊しようとする差別主義者を許さない」という考えは共有して いました。そうしたカウンター活動ののうねりの中から、「なかパレ」は生まれました。

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「なかパレ」が成し遂げたこと

「怒ってるばかりでなくて、何か明るいことをしよう」という着想から始まり、当日には沿道に一連の問題を知ってもらうためのフライヤーを用意したり、 著名人からのメッセージを印刷したカードを飴類と一緒に配ったりなどの周知活動などを行いました。

何より、パレードを彩った民族衣装に身を包んだ 朝鮮王朝楽団や、沖縄のエイサー隊、和服の紳士淑女、虹色の旗を掲げる人達が「仲良く」歩く姿は、すでにこの社会が多様性に満ちたものであり、 差別主義者が夢想する「日本人だけの日本」などがただの妄想に過ぎない、という現実をはっきりと目に見える形で示すものでした。

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「なかパレ」の成功は、各地で抗議活動に参加する人々に刺激を与え、922日には東京で、「私たちは既に一緒に生きている」をスローガンに 「東京大行進」が行われ、「なかパレ」の参加者(約700人)を大きく凌ぐ3000人近くの人が新大久保を含む新宿の街を練り歩き、関西のカウンターの うねりの中から生まれた「なかパレ」は、全国各地で繰り広げられるカウンター運動と共鳴しつつ、多くの人をカウンターにつなげ、今日に至っています。

( 文責:ITOKENなかパレ共同代表 )


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